新庄 剛志(しんじょう つよし 1972年1月28日生まれ 長崎県対馬市出生、福岡県福岡市出身)
西日本短期大学付属高校~阪神(1989年ドラフト5位・1990年~2000年)~メッツ(2001年)~ジャイアンツ(2002年)~メッツ(2003年)~北海道日本ハム(2004年~2006年)
【タイトル・表彰・記録】
ベストナイン 3回(1993年、2000年、2004年) ゴールデングラブ賞 7回(1993年、1994年、1996年~2000年、2004年~2006年) 月間MVP 2回(1999年5月、2004年9月)、オールスターMVP 2回(1999年第3戦、2004年第2戦)
『西のファンタジスタの果敢な挑戦』
1989年のドラフト会議で、5巡目で阪神タイガースから指名を受け入団した、溢れんばかりの身体能力が特徴の大型野手。特に新庄を担当した横溝スカウトからは高校生としては既に1軍クラスの肩を持つと称された。
1軍定着は1992年からで、この年は亀山と共に『亀新フィーバー』としてリーグを席巻する活躍を見せ、レギュラーとなる。以降はほぼ毎年、打撃では打率2割5分近辺、本塁打数20本近辺を推移する成績となるが、自慢の肩とポジショニングを武器に守備面が光り、毎年ゴールデングラブを受賞する守備で活躍していた。
1998年シーズン終了後の秋季キャンプにて、野村克也監督発案の仰天プランが明かされた。それは新庄の投手挑戦(二刀流挑戦)だった。新庄も98年秋季キャンプ、年を越して99年の春季キャンプで度々ブルペン入りし投手としての練習を始め、更に当時横浜所属の不動の大魔神・佐々木主浩からフォークを教わり、オープン戦で登板しそのフォークを決め球として投じて三振を奪うなど、投手としての素質を見せ付けた。
しかし、マウンドの傾斜からの投球が体に合わず、左膝を負傷してしまい、公式戦でマウンドに上がることは無く、幻の投手挑戦となってしまった。
今回はその幻となった1999年の公式戦野手成績とオープン戦のみでしたが登板した投手能力を再現したものとなります。
【画像データ】
【査定について】
【野手】
守備S→ゴールデングラブ賞。レンジファクターで何度も1位を取っている(取れなかったシーズンでも大体2位だが、そのシーズンでは大体飯田が1位になっている)
プルヒッター→阪神時代、打ったホームランはほとんどレフト方向
ローボールヒッター→低めの球に結構強い。このシーズンでも上原から低いコースのストレートをホームランにしている
悪球打ち→敬遠球サヨナラヒット
調子極端→打順が4番だったり下位打順だったりまちまち
【投手】
以下の動画と、パワプロ6やネットに転がっていた記事を見ながら査定しました。
最高球速→パワプロ6での最強球速は148キロだが現実では最高球速は145キロだったらしいのでそちらに。
変化球→球種もオープン戦で投げていたスライダー、佐々木から教わったフォークに加え、カーブも投げていたが映像を見る限り、落差のあるタイプだったのでドロップカーブにしました。
ノビC→結構見た目以上に速さを感じる球を投げていた。
シュート回転→野手投げで、回転は悪い。
テンポ○→器用に投球の間合いを変えながら上手く投げていたそうなので。