再現チーム・読売ジャイアンツ(2004年)
史上最強打線を擁し、プロ野球シーズン新記録のチーム259本の本塁打を放った、2004年の巨人の再現チームです。
【2020年12月28日・追記】
一部選手の能力を変更し、再アップロードしました。
【パワナンバー】
【2004年巨人をプレイバック】
『球史に残る最強打線の理想と現実』
2003年、阪神の快進撃を前に3位に終わった巨人。V奪回に向け、オフに大きく動いた。監督を原辰徳から堀内恒夫に変更し、パ・リーグの近鉄の強力打線の中核を担っていたローズ、大怪我によりシーズンを棒に振り復活を懸けた小久保の両選手の獲得に成功。
スタメンほぼ全員が他球団なら4番ないしクリーンナップを任せられる選手、任されていた選手で形成された打線は『史上最強打線』と名付けられた打線は子供ながらにして夢を見た。
そして通りシーズンで打線は猛威を振るい、チームでシーズン259本の本塁打を放ち、日本記録を更新し、スタメン野手はほとんどが2ケタ本塁打、得点、長打率、出塁率も1位を記録した。
しかし、現実は違った。点こそ入る強力打線だったが、得点パターンはほぼ一発攻勢で100打点はおらず、更に守備・走塁を大きく犠牲にした野手陣はチーム盗塁数がわずか25個に留まった(この年の盗塁王は阪神の赤星で64個なので、個人の半分以下にあたる)ほか、守備面でもセンターにアメリカにいた若い頃にやったきりのローズを置かざるを得なくなり、そのあおりを受けて前年から課題だった投手陣は更に崩壊し、チーム防御率は4.50だった。
結果的にシーズンは1位はおろか1位から8.5ゲーム差を離され3位と前年と変わらずだった。この年セ・リーグを優勝したのは中日だが、本塁打数はリーグ最少の111本で、巨人の半分以下だった。しかし、中日のチーム防御率はリーグ唯一の3点台で、巨人とは全くの正反対というチームだった。
いかに、守備走塁が大事かを世に知らしめたシーズンであった。
【更新履歴】
2020年9月21日 チームアップロード
2020年11月29日 一部選手データ更新
2020年12月28日 一部選手データ更新